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忘れ方

悲しいことがある

希望の在り方の定義

既に5月になった このブログは概念的で抽象的なもので、かつてあったが既に 既に失われているのだ前述したように

ゴールデンウィークは全くゴールデンでなく、ゴールデンウィークはどこに行ったのか全く分からずに去年のゴールデンウィークはもしかしたら存在しなかったかもしれないが、今年のゴールデンウィークは確かにその存在を認識しているにもかかわらず世間の休暇を手の中で持て余している 一昨年は母と出掛けていたような気がするけれど記憶も写真も残っていない

でもゴールデンウィーク昼夜逆転を容易にさせる 実際空が白みはじめたりカラスの鳴き声が聞こえはじめる頃に布団に入ることが増えてきたし今も布団の上でブログ書いてる 寝なきゃいけないのにな

 

生きていれば免疫や耐性がついてくるものだから昔の衝撃や記憶などは凌駕することが難しいと思う ここ最近もインプットに励んだつもりだったがもう零れ落ちてしまったのか、インパクトがあまり残っていない これもそのうち解消されるのか

 

カラスの鳴き声が聞こえるのは中学生の時なんかは本当に珍しくて広い家に住んでいてリールカーテンで朝になると目の前が明確に水色になったものだったし疲れを学校に持っていくのが憂鬱でありときめいたけれどもうそれもないね 去年一度どうしても徹夜したい気分になり朝が来るのが見たくて見たくてしょうがなくて今住んでいる狭い部屋の中で辛うじて一番水色の確認できる部屋で朝を待ったものだったがその時は肌寒くて確か半袖を着て夏だったと思うけど一周した

一周した

今部屋の電気を消したら水色の寸前の色だ

一周して夏が来るのが恐ろしくもありまた新しい夏を意識しながら過ごすかもしれない

正直辛かったが美しくもあった

さっきも夏の虫の音がして、風が夜なのに太陽の匂いがした

もう

 

 

今日は映画を3本見て、この前はずっと読んでた小説と新しく買った単行本を読み終えた 明日も映画を見る予定で課題をそろそろ始めないといけなくて、月曜日になったらまたいつもの取り戻した、取り戻しきれていない生活が再開する

起点をどこに置こうか

砂に落ちた鍵

部屋のテレビがついていない 窓が開いている 私は数ヶ月ぶりに泣きたくなって泣いた

最近はずっと忙しかった 周りとは比べ物にならないかもしれないが、私はタスクが多いと上手く噛み砕けず消化不良で頭が死んでしまうので頑張ってる方だと思う

3月が即終わって4月の新年度から大きく変わった 本格的に何かをすることをこんなにも望んでいたのにもう1年が経ってしまいやっと やっとやっと愛を諦めて気づきを強引に押し込めて夢を見ずに穏やかな心で冷たくなっているがそれでも楽しい 今までは周りの人間が私に対して人生を諦めた人間のように扱って来たけど今はこれからのためにたくさんのことを教えてくれる ずっとそうだったはずなんだけどしばらく離れるとまるで人でなしになったかのようだったから

 

布団が暑い

4月になってすぐものすごく暑くなったね それで私は夏のことをよく思い出すようになった 夏に聴いていた歌が一番覚えてる 誰にも会っていなかったのに一周したら環境がものすごく変わったと思う もう他人にすがることなんてなくなった 全部自分の責任だと思い自分の嫌いな人間は自分とよく似ていることを理解し人を嫌うことに躊躇がなくなった 優しすぎることだけをアイデンティティにし、言い訳にして来た今までとは違う やりたいことなんてひとつもないがやりたいこと"(笑)"のために突き進むと全員馬鹿にしてくるので私も同じ思想になった だからこそ軽率に嫌うことで鎮静したかった

どこに向かうのか全く分からない

自分のことは相変わらず超嫌い

大人のツイッター見てると対して中身など変わらないのだなと思う 私は中学時代からタイムラインの変遷が凄まじい 差別思想が歪んで正され歪んでの繰り返し だが根本は変わらないのなら今の時間備忘録を残すのは未来の自分を殺すのに最適な方法かもしれない

人間に関心が無くなったので感情の動きも極端に減った どうでもいいことは後回しにされるので自己中心的になった 罪悪感のために相変わらず生きてる その分苦しんで欲しい

どんどん薄まっていくのが分かる 離人症の症状も出て来たかな?

自殺を意識することと焦りは無くなった 自分より優れた人間に対する考え方も、悲しみからムカつきに変わった

果たして正しいのかどうか

昨日は

既に失われた

一個前の記事私が何を思って残したのか全く覚えていない 非公開でツイッターみたいに書いてるタイムラインを久しぶりに更新したらなんかそんな気持ちになった

3月のことはあまり覚えていない 歯医者に行ってミスドの坦々麺食べたら終わっていたと思う そういえば昨日は、いや一昨日だったかもしれないけどバーミヤンで坦々麺を食べた 坦々麺大好き 家の周りにはそういう類の店が割と多い

そういえばライブに行った それは2月もだけど2月はただ好きな人に会いに行っただけで握手してその手が暖かかったので、正直驚いた 多分心が冷たいのかな それと良い匂いがした

3月のライブは後押しされるようなステージだった 時間の流れとはどうしようもなく私も彼女も私の人生におけるその他大勢も、仕方がないくらい大人になってしまって疎遠になってしまって輝きがなくなってしまって輝きを忘れてしまうけれどそのことを受け入れてしっかりと進まないといけないねって思った 退場曲が特に

今思い出したけど一個前の記事はその日に書いたものだったと思う 補導される時間帯にひとりでマック食べたけどそんなの初めてだった それにしても何もかもひとりでするようになってしまったなあと思って悲しい気持ちになったけどそれも仕方ない

初桜は新横浜駅の脇道で申し訳程度に咲いているやつ そのときまた私はひとりだったけどその日出かけるまでに5日間くらい家から出てなくて久しぶりの外出だったからなんだ日本はもう春か、っていうあれだった

 

3月といえば彼女に会ったのも3月だった 今生きるのに必死で3月の記憶を圧迫してた

その日は暖かくて夜まで話して帰る頃に雨がしきった 

どの人間も私の体温に合わずに気持ちの悪い思いばかりしていたけど彼女は違う

 

3月末から今に至るまで結局自分を殺した 一昨年の冬に思っていたことと去年の春に思っていたことは違うけど他人の視線を気にして最善の結論を導いたときここに辿り着いてしまった 自分はもう何事に対しても明るい気持ちで挑めないから遠くから眺めているけど周りには心から望んでいたり本気で頑張っている人間が多いなと思う 私も最初からそうしていれば選択肢の狭間で悩むことなんてなかったのかもしれないが選べるほど身分のある立場でもなければ努力もしていない

最近また去年の春に下した結論の理由を思い出せるようになった それでも泣かなくなった 3月末から今、というか今日まで中学時代のような生活を繰り返していて自分のゴミ屑加減に何度も逃げ出したく、まあそんなになってないけど、すこし、嫌になったけど自分の自分の自分のお金で払ったり自分で全部やるようになってある意味の責任感で頑張った

それが全部悲しい

 

去年の夏や冬に聴いていた音楽を聴いてみたら今まででは美化されてきた記憶が今でもずっとつらいことを知った zaraの薄いTシャツや硬いオレンジの椅子や暗くて紫陽花の見える部屋のことを覚えてる 自室で死ぬことを考えながら64階の絵を描いていたことや愛されないことを感覚的に認識したことをずっと覚えてる

中学2年のときアデルを聴きながら逃亡したのは美化されたのに 身長が伸びたと言うのはスカートを折るなという湾曲された表現だと知らなかったあの日

あの人間は今でも好きじゃない 謝りたい人はたくさんいる

まだ純粋かもしれないがもうそれほど素直でもない

 

バイト先の社員が退職するらしい ずっと辞めたい辞めたいと言われバイトは続けない方が良いと言ってきた人間だった 逆ギレして私に合唱コンクールの雰囲気を思い起こさせた人間 あくまで私の父親が次期社長の会社

低所得ではないはずなのに扶養から外れたせいで福祉医療証がある

お金を払うことは一種安心する行為でもあった ストレス解消かもしれない

飛び降り自殺するような気分でも無くなったがお金のことで私なんかいないほうが良かったのではないかと思うことは増えた 今までは存在自体が救いに支えられたようなものだと思っていたけれどそれが少し自己中心的に振る舞うことで余った罪を他所に放り投げてそれに反応した人間が私に怒ることはあったけれど他人が自分のせいで首が回らなくなっているのが悲しいというか不快

私がいるせいでまた借金が増えた 父親に相談したらごく利己的な返答が返ってきた べつに責めるわけじゃないけれどお前の家族は両親だけじゃない 妻はもう失ったかもしれないけれど私はまだ糸に絡まったまま

夢を追うという言葉が希望的で口にしたくない 母親が私の才能について他人に紹介するようなことをしたけれど何も分かってないな 無理やり信じ込もうとするな

“夢を追う”せいでまた一歩自分の首を絞めた それでも歩き続けなきゃいけない

ヘンジン

バカみたいに自分の事ばかり書くのはもうやめます どのみち進むんだから

叫ぶと驚いてほしい

たまにというか頻繁に、IDやパスや登録してあるアドレスを控えたメモ帳を見てすごく嫌な気分になるからどんどん退会してその結果アプリがすごく少なくなる なんか嫌いなんだよな このはてなブログもそのうちやめると思うけどpiquとかいう短くて可愛いIDなんてなかなかゲットできないからあんまり手放したくない まあこのサイトはシステムが同じIDは使えませんみたいなやつだったから誰かに取られるわけじゃないしいいか

わたしは誰かに選ばれたい よく分からないけどそういう焦燥の念があって

今祈りとか願いとかそういう概念がない 最初のブログに確かそんな旨を書いた気がするけど血も涙も無くなった ここに残ったのはストレスだけです ストレス性なんとかにそのうちなりそう 自分を愛さないといけないんだけれど愛せない

祈るように会話するとそこに愛があるが愛は特定の人にしか与えたくないため祈ったりすることがない 友達は大好き 友達しか希望がないが友達が上手く行ったりすると自分の無能さに呆れ返り簡単に死のうとしてしまうので危ない

なんでこんなにだめになってしまったんだろか

前ほどではないが今だって自分の半生を思い返してる

記憶しかないから することとか

ささくれがいたい

 

ここ数年ささくれできてなかったのに

選んで欲しくて必死になってずっと特別なものになりたかったのだが特別になるには特別な道を歩かなければいけなくて わたしは

選民意識を少なからずもっていてバカなんだけど理由をいくらでもつけられる それはひどいけどなにより打ちづらいこのキーボード

なんかもうやだ

ささくれいたい

昔栄養失調でよくなってた昔といっても小学校の頃の話だが小学校といえばあの期間は6年も用意されているのに成長をあまり強いられていなくて幸せではなかったし少々辛くて今思えばあの感覚の違いこそが公立の中学に進んだみんなとの差だったのだなと思うしあの気持ち悪さは女子校に入って随分収まったがぱっぱと成長を強いられる感が無理

高校なんてさらにそうだろう つらい なんで第二幼稚園が用意されてないんだと思う

好きな人をとられるのもつらい

好きな人ってもうわたしは人生のパワーとか魂的なものをゴロッとその人にあげてしまって帰ってこないので感情が 好きな人なのに自分みたいで嫌なとこは徹底的に叩き潰してしまって結局そうでもなくなるんだけど魂がそっちにあるから懐かしさとかエモさがあってやはり無理

生きるって無理

無理だと思ったら起きられなくなる症候群を発症した ブログやだ けしたい

Twitterやめたい めんどくさい めんどくさいけど暇を持て余しちゃうと思う もうすこし文明が進んでいなければな

いや嘘 Twitter大好き

話がブレる人好き例えばわたしとか かわいい

ここはヘヴン

誰も見ていないのに言葉を吐く意味があるかとよく言われるけれど、わたしにとっては、そこに誰もいないことが一番大事だ 友達との会話は言葉ではなくどちらかというとワードに近い気がする それでもお話は楽しい 人によるけど

ツイッターでリア垢を作った わたしは中学時代の裏垢が、前身のリア垢を削除したことによって実質本垢みたいになっていて、フォローはいるけれどフォローリクエストは拒否している、みたいな形態でずっとやってきた 元々リア垢でも当たり障りのないことしか呟けず、まあそれでいいんだけど、誰かがいる状況で例えば悩みとか好きなこととかを呟くのが圧倒的に無理だ

だからずっとひとりで話す 独り言も多いけどそれは自分では数少ない好きなところ 喧騒の中だったりすると歌っちゃう

人間関係が下手なのはこれがすこしかかわっているのか

全て人によるか 大好きな人は大好きだしそうでもない人はそうでもない

 

それで自分の行動に違和感があってふつうではないのではと思ってしまう ふつうの子として扱われた時のやり場のなさがある

あきらめたりしたがあきらめた俺たちもそれは青春だよって言う あきらめた人がすごくいて 放棄が大半なのだろうか もうすぐ決断の時だけどなんどもなんども夢が削られていくんだろうか 華やかさに勝るものはないかもしれないが好きな人たちはどうしてうまくいっているんだろう うまくいっている人が好きの対象になりやすいのはわかる、でも彼女はあきらめたりしている

恋愛が成就するといいな、あの子の あの子にはずっと幸せになってほしかったんだ

わたしが彼女と合わせて自分たちと言うのは愚かだろうか きっと一番大きい存在ではだんだんなくなっていくにしろ、でも、そもそもずっと一緒にいられないのにバカみたいに焦ったりした記憶を思い出して幸せになってほしかったあの子と彼女を天秤にかけたりした音楽室やカフェが遠い日の出来事のようで実際2年も経った

別れが素っ気ないと悲しい

もっと惜しまれたかった

父からLINEが入っていて斜陽、彼の血だといちいち思う

言ったかもしれないけど両親は結局のところ似ているのだ どこまでも親の呪いから自分を許すことができない 親が似ている限りわたしは存在が明確になってしまって ずっと明確なまま死ぬのが嫌だ

わざと冷たくしないと距離感がつかめない 誰も本当のことを言ってくれないからわたしだって絶対に言いたくない

親が似ているとどちらが親かわからないのに結婚の過去は本当で似てるから惹かれあったんだけどお互い自分が嫌いだから似ている相手のことも嫌いになったんだろうか

自分が嫌いだったならわたしだって永遠に愛されることなんかない

愛されたかったけれど彼女が微かな愛を与えてくれた2年間がもしかしたら最後だったのかも そのときのことばかり思い出す

後ろをずっと見る

決心のきっかけは時間切れじゃない

考えてみれば原点回帰を続けている どんどん昔に戻りたがるのは人間の性なのか、はたまたわたしの性なのかはわからないが、中学生あたりからその傾向が見られて、実際に担任との連絡欄にそのようなことを書いた気がする

中学では学習時間などを記録して提出する義務のあるノートがあって、わたしはそれのすべてに嘘を書いて一行の連絡欄には毎週意味不明なことを書いていた 一種の詩のようなものかもしれないけれどなんとなく全体のバランスを見て単語などを書いた

たまに問題行動を起こして呼び出された時にその話を同時にされたことが多かった 多分そのようなことをされたのは担任の方も初めてだったんじゃないかな 英単語や韓国語なんかも書いてたからもうちょっと真面目にできないのって言われたりした

原点回帰とか初心忘るべからずとかを頻繁に思い出すようになったのは確か小5の時だったと思う そこから座右の銘を聞かれたときに 初心忘るべからず をプロフ帳の小さいスペースに押し込めたりしてた なぜなら期待がそこにあったから

何かしらの行動を起こす時に、期待や 今よりもマシな状況 みたいなポジティブな理由があることが大半だけれども気づいたら今の環境が嫌いになって愚痴ばかりこぼしている で初心を思い出したときにアーてなるのだ

今わたしは愚痴みたいに聞こえるだろうか

たしかに昔はたのしかったけれども現在の環境に移るときに期待を超最小限に抑えた思い出がある 初心忘るべからずに胸が痛くなりはじめたころから期待するのをやめたのかもしれない 初心とは

どこまでも人生はつまらなくなっていくだけなのかもしれないとこの前犠牲のことについて話していたときに再三確認させられたのだけど人生の意義とは快楽を求めるために生きるとまったく悪になっていくし純粋なのがダメみたいな風潮があって実際わたしにもそんな意識があるので純粋と無知は一緒かもしれないけど無知は無恥みたいな

ずっとかわいそうにしか見えない大人 かわいそうなのは見てて嫌なのだが父とか母は割とかわいそうにみえる(見せる)人だと思うしそうしていない類の大人もちょっと長めに見ていると超かわいそうだと思う 高校生にも同じ感想がある ごく一部だけど 自分以外全員かわいそうだしわたしもかわいそうだ かわいそうに対する嫌悪感はなんなんだろうか 受験生のフリをしていたころ、国語の問題で「自分がかわいそうで泣くのはいけません」というのがずっと頭に残っててもちろん昔の話なんだけど罪悪感がある

人の思想というのは全く

椎名林檎さんの歌マネをする女の子を酷評する前川清の動画を見たけどああいうのに人は簡単におれてしまう

 

色々思い出して悲しい

決心のきっかけは理屈ではないけれど 未来を信じることはずっと難しいね 好きなことはどんどん後戻りしていって今の自分と混合していって無理に捻くれるのも悲しい