忘れ方

悲しいことがある

後ろをずっと見る

決心のきっかけは時間切れじゃない

考えてみれば原点回帰を続けている どんどん昔に戻りたがるのは人間の性なのか、はたまたわたしの性なのかはわからないが、中学生あたりからその傾向が見られて、実際に担任との連絡欄にそのようなことを書いた気がする

中学では学習時間などを記録して提出する義務のあるノートがあって、わたしはそれのすべてに嘘を書いて一行の連絡欄には毎週意味不明なことを書いていた 一種の詩のようなものかもしれないけれどなんとなく全体のバランスを見て単語などを書いた

たまに問題行動を起こして呼び出された時にその話を同時にされたことが多かった 多分そのようなことをされたのは担任の方も初めてだったんじゃないかな 英単語や韓国語なんかも書いてたからもうちょっと真面目にできないのって言われたりした

原点回帰とか初心忘るべからずとかを頻繁に思い出すようになったのは確か小5の時だったと思う そこから座右の銘を聞かれたときに 初心忘るべからず をプロフ帳の小さいスペースに押し込めたりしてた なぜなら期待がそこにあったから

何かしらの行動を起こす時に、期待や 今よりもマシな状況 みたいなポジティブな理由があることが大半だけれども気づいたら今の環境が嫌いになって愚痴ばかりこぼしている で初心を思い出したときにアーてなるのだ

今わたしは愚痴みたいに聞こえるだろうか

たしかに昔はたのしかったけれども現在の環境に移るときに期待を超最小限に抑えた思い出がある 初心忘るべからずに胸が痛くなりはじめたころから期待するのをやめたのかもしれない 初心とは

どこまでも人生はつまらなくなっていくだけなのかもしれないとこの前犠牲のことについて話していたときに再三確認させられたのだけど人生の意義とは快楽を求めるために生きるとまったく悪になっていくし純粋なのがダメみたいな風潮があって実際わたしにもそんな意識があるので純粋と無知は一緒かもしれないけど無知は無恥みたいな

ずっとかわいそうにしか見えない大人 かわいそうなのは見てて嫌なのだが父とか母は割とかわいそうにみえる(見せる)人だと思うしそうしていない類の大人もちょっと長めに見ていると超かわいそうだと思う 高校生にも同じ感想がある ごく一部だけど 自分以外全員かわいそうだしわたしもかわいそうだ かわいそうに対する嫌悪感はなんなんだろうか 受験生のフリをしていたころ、国語の問題で「自分がかわいそうで泣くのはいけません」というのがずっと頭に残っててもちろん昔の話なんだけど罪悪感がある

人の思想というのは全く

椎名林檎さんの歌マネをする女の子を酷評する前川清の動画を見たけどああいうのに人は簡単におれてしまう

 

色々思い出して悲しい

決心のきっかけは理屈ではないけれど 未来を信じることはずっと難しいね 好きなことはどんどん後戻りしていって今の自分と混合していって無理に捻くれるのも悲しい