忘れ方

悲しいことがある

強い光に慣れ、また乗り越えられる

6月から全く更新していなかった

私は時間の流れに異様な恐怖を抱いていたしざっくり言ってしまえばこのブログだって殆どそんな内容で1000字行ったり来たりしているだけだったと思う それも少し治ったというか、流れてくるように毎日が始まって終わり、と言うか一般的に1日の区切りとされている深夜に寝ている確率が低くなったり寝ていても長く寝た感覚がそんなに残っておらずずっとどこからか地続きになっている気持ちでかなりヘラヘラしていた

そんなこと言ったら今8月末ですけどブログ書かなかった間に夏と言える夏は終わり これからしばらくは暑いかもしれないが 去年の夏とは結構違う過ごし方をしていた

ひとつ大きな出来事といえば日記がついに途絶えてしまった それは8/1から書けなくなってしまったんだけど記憶を振り返ることができなくなってしまった ですが取り留めのないことだし鍵アカウントには大抵のインプレッシブな出来事をツイートしているから大丈夫なんだけどこの日はここに行ったあと、何してどう思ったとか一切覚えていられないから でももういいや 逆に外に放出してしまうことで脳にとどめていられなかったりするかもね

夏は映画観たり普通に人に会ったり学校予備校睡眠の繰り返しだったり 夏期講習行ったりしていた しかし夏休みは映画1本も観なかった 貴重な体験もあり 失恋に近いが凄く楽しかったり、何かに直面したり結局人間が嫌いだったり 大好きな子とも会ったね 誰かに認められたくて同じところに立ちたくて下に居たくないと思い過ぎて頭がおかしかったな終始 その思いも解けたりまた強くなったりしてSafariの履歴はずっと迷っている

もう何も思えないのかもしれないし思わないのかもしれないな とりあえず自分になりたいんだけど自分であるにもかかわらずこれは自分じゃないとか言ってるあたり、野暮な意識がなかなか抜けていない証拠だな

 

3月にやっと命を持ちこたえるような希望があり、それ以降ちょっと頑張ろうとここまでやってきましたが昨日丁度夏が終わるタイミングでもう一度その体験をしてきたが心が余裕というか、前みたいにグサグサつらくなく、日常の一部に成り下がったのでありまた同時に成り上がったのでありました 年末年始の鬱絶頂期の頃を説明していた彼は中指を立て、強過ぎる光の残像で顔は見えなかったけれど寧ろそれが正しいね あともうひとつ 恋愛は普通に無理だけど特別な概念がありそれを掘り下げるとまさに私のことだった

それも日常 終電ギリマクドナルドももう非日常ではない 冷酷になった 外に出たら蒸し暑いけれど終わったのだ

 

ここから先ずっと勉強しなくちゃいけないが友人と設定している人間たちにfワードを唱え、私は違うステージに乗り移ろうと思う 傾向や事実からはきっと逃れられないが

朝の次

 

肌が冷たくて手の半分までコートで隠れている季節のこと 悲しいこと自体が取り留めのないこととして扱われていること